ついしたくなる。
日常生活の中で、ある行動を「ついしたくなる」あるいは「ついしていた」という経験は誰しもあると思いますが、それが誰かの「仕掛け」によって意図的に引き起こされているとしたらどうでしょうか。
「した方がよい」とわかっていることでも、なかなかできないことはたくさんあります。例えば、オフィスの書類は整理整頓されていたほうがよいに決まっていますし、部屋も綺麗に片付いていたほうがよいに決まっています。一方で、「した方がよい」と頭でわかっていても、それを指示や強制されると、素直に従おうという気持ちになれないこともあります。
その「した方がよい」行動を、指示や強制ではなく「ついしたくなる」状態を意図的に作り出すことで誘引できれば、身の回りのさまざまな問題が解決される可能性があります。そのような問題解決の手法が「仕掛け」であり、それを研究する学問として大阪大学の松村真宏教授により提唱されたのが仕掛学(Shikakeology)です。詳しく知りたい方は、松村教授の著書「仕掛学―人を動かすアイデアのつくり方」を一読いただければと思いますので、ここでは簡単に紹介します。
オフィスの書類を整理整頓するという問題について考えてみます。「整理整頓」と書かれた張り紙を見たことがある人は多いと思いますが、それにほとんど効果はないこともまた、多くの人が経験済みのことでしょう。一方で下の図のように、書類ボックスの背表紙に斜線を引くと、なんとなく順番通りに並べようという気持ちが働くのではないでしょうか。
部屋を綺麗に片付けるという問題について考えてみます。おもちゃが散らかった部屋を片付けるよう子供に指示することは、ほとんど意味がありません。こちらも下の図のように、ゴミ箱の上にバスケットゴールがあると、ついシュートしたくなり、結果的におもちゃがゴミ箱に回収されるかもしれません。
三つの要件。
仕掛けは「行動の選択肢を増やすもの」であると、仕掛学では定義されています。新たに登場した行動の選択肢のほうが魅力的であれば自ら進んで行動を変えるでしょうし、そうでなければこれまで通り行動するだけ。もともとの行動を禁止されるわけでも、新たな行動を強要されるわけでもありません。選択は自らの意思によるものであり、ゆえに不快になることもありません。
その「行動の選択肢を増やすもの」である仕掛けには、公平性・誘引性・目的の二重性の三つの要件があり、それらすべてを満たすものこそが仕掛けであると、仕掛学では定義されています。
公平性(Fairness)は、仕掛けによって誰も不利益を被らないことで、逆に人を騙したり不快にするものは仕掛けではないことになります。
誘引性(Attractiveness)は、行動を誘うという仕掛けの性質のことで、逆に行動の変化を強要するものは仕掛けではないことになります。なお、仕掛けが行動の選択肢を増やすもので、かつ自らの意思で選択できることが前提となります。
目的の二重性(Duality of purpose)は、仕掛ける側の目的(問題を解決したい)と仕掛けられる側の目的(その行動をしたい)が異なることで、逆に目的が一致するものは仕掛けではないことになります。
バスケットゴールの例でいうと、設置することで誰かが困るわけではなく(公平性)、子供はついおもちゃをシュートしたくなり(誘引性)、子供の目的であるシュートをして遊ぶことが、結果的に親の目的である部屋の片付けになっている(目的の二重性)ということになります。
また、この三つの要件のことを、それぞれの英語の頭文字をとってFAD要件と呼びます。
無意思的なナッジ、意思的な仕掛け。
「行動デザインって?」でも触れたとおり、社会の多くの問題は、ヒトの行動によって引き起こされており、それを意図的に変えることができれば、多くの問題が解決されるはずです。このように、なんらかの問題解決のためにヒトの行動や習慣を変えるよう意図的に仕向ける企てのことを行動デザイン(Behavior Design)1)行動デザインって?といいます。
行動デザインの手法には「いまさら聞けないナッジ理論」でもご紹介したナッジ(Nudge)がありますが、仕掛けもそのひとつと言えるでしょう。ただ、ナッジが「選択者の自由意思にほとんど影響を与えることなく、それでいて合理的な判断へと導くための制御あるいは提案の枠組み」すなわち「知らぬ間に最良の選択をさせる仕組み」であるのに対し、仕掛けは「行動の選択肢を増やすもの」であり「複数の選択肢があることを認識した上で、意思をもって(仕掛ける側が期待する)選択をしてもらう仕組み」であるため、選択における意思の強さに違いがあるように思います。
とはいえ、与えられた選択肢が同じでも、選択の意思の強さは人により異なりますし、結果として仕掛ける側と仕掛けられる側の双方にとって最良の選択となることを目的や成果とする点は同じなので、取り上げられる事例も共通のものが多くあります。
ナッジ理論の有名な事例として「トイレのハエ」があります。オランダのアムステルダムのスキポール空港にある男子トイレの小便器に描かれたハエの絵は、利用者の「標的に命中させたい」という心理を喚起することで尿の飛散を抑制し、清掃費を80%削減させたと報告されています。
この「標的に命中させるよう放尿する」という選択の意思の強さは、人により異なります。ただその違いによって、結果として尿の飛散が抑制されるという効果が変わるわけではありません。
いずれにせよ、仕掛けとナッジはともに、実際にヒトの行動を変容させ、社会問題を解決する行動デザインの手法として、世界中でさまざまな問題解決のアイデアを創発し、共有し、普及していくことが期待されています。
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須川 敦史
UX&データスペシャリスト
クロスハック 代表 / uxmeetsdata.com 編集長
脚注
1. | ↑ | 行動デザインって? |