再考するエキスパートシステム

専門家の能力を再現する。

最近はやや落ち着いた感がありますが、人工知能(Artificial Intelligence:AI)あるいは機械学習(Machine Learning)1)いまさら聞けない機械学習という言葉を聞かない日はないくらいにバズワード化しています。これは第三次AIブームと呼ばれ、その火付け役が機械学習の一種である深層学習(Deep Learning)であることはいうまでもありません。

第三次があるならば、当然ながら第二次AIブームも存在したわけですが、その中心にいたのがエキスパートシステムです。エキスパートシステム(Expert System)とは、専門知識を持たない素人でも、専門家と同じレベルの意思決定や問題解決ができるよう、その領域の専門知識をもとに専門家の能力を再現するシステムのことです。専門知識をルール化することから、ルールベースシステム(Rule-based System)とも呼ばれます。

筆者が大阪大学でAIの研究に関わっていた1990年代後半は、まさにこのエキスパートシステムを中心とした第二次AIブームが過ぎ去った後の、いわゆるAI冬の時代でした。しかしながら、その研究は粛々と続けられており、当時は大阪大学の助手であり、筆者の指導教官でもあった大澤幸生氏(現東京大学教授)により開発が進められていた、Index Navigator2)ユーザの変化する興味を理解し表現する文献検索支援システムIndex Navigatorと呼ばれる、キーワードの関連性を表す知識ベースをもとに、推論エンジンを使ってユーザーの興味を入力キーワードから理解し、次のキーワード候補を提案することで文献検索を支援するシステムは、1998年の人工知能学会論文賞を受賞しました。

ところで、なぜ第二次AIブームは終わってしまったのでしょうか。それを理解するには、そもそもエキスパートシステムとは何か、そしてその欠点を知る必要があります。また、第三次AIブームの渦中で、エキスパートシステムはどのような状況にあり、さらに今後はどうなるのでしょうか。

深層学習のベースである多層ニューラルネットワーク(Deep Neural Networks:DNN)を用いた機械学習の発想は古くからあり、1979年に福島邦彦氏により発表されたネオコグニトロンでその原型が確立されています。しかしながら当時は、その技術を生かす大量データと膨大な計算を行う超高性能なコンピューターが存在せず、実用に至りませんでした。ところが、近年のビッグデータの普及とコンピューターの進化により、深層学習として具現化されたわけです。

2019年は5G・IoT元年になると言われています。AIをとりまく環境も大きく変わることでしょう。深層学習がそうであったように、エキスパートシステムが近年の技術革新により進化する可能性は十分にあります。ここで復習をかねて、再考してみたいと思います。

知識に基づく推論。

エキスパートシステムは、専門家の意思決定や問題解決の能力や手順を模倣するシステムであり、専門家のように知識に基づいた推論を行うことで、複雑な問題を解くよう設計されたものです。

通常のシステムでは、すべてのロジックをプログラムで構造化するのに対し、エキスパートシステムでは、知識と推論を分離して構造化するという特徴があり、それぞれの部分を知識ベース推論エンジンといいます。

知識ベース(Knowledge Base)は、専門知識をルールで表現した特殊なデータベースであり、「もしXならば、Yである」という自然言語の形式で記述されます。サッカーでたとえるならば「もしディフェンスが右に動けば、オフェンスは左に動く」というようなことです。推論エンジン(Inference Engine)は、エキスパートシステムの頭脳であり、知識ベースに記述された専門知識をもとに最適解を推論する仕組みのことです。

もともとエキスパートシステムは、スタンフォード大学のヒューリスティック・プログラミング・プロジェクトの研究者らにより1960年代に提唱されたもので、その一人でありエキスパートシステムの父といわれるエドワード・ファイゲンバウム氏らによる、Dendralという有機化学の知識をもとに未知の有機化合物を質量分析法で分析して特定するシステムがその起源です。

1980年代には、同氏が提唱したエキスパートシステムを扱う工学分野である知識工学をベースに研究開発が進み、多くの大企業が導入するなど実用に向けて大きく前進しました。これが第二次AIブームです。多くの大学ではAI関連コースが開設され、日本では第五世代コンピュータの開発を目指す国家プロジェクトも発足しました。

しかしながらそのブームは1980年代とともに終了します。その理由は、エキスパートシステムが抱える以下の欠点によるものでした。

  • 専門家のあらゆる知識のルール化が必要で労力がかかる。
  • たくさんの知識を教えると矛盾が発生する。
  • 知識として体系化しづらい例外が存在する。

そもそもエキスパートシステムが求められる業種や職種の専門知識は複雑かつ多岐にわたります。また、相互に矛盾するものやルール化しづらい例外も多く、それらを包括する汎用的なロジックの表現は極めて難しいものです。

例えば、会計業務には明確なルールがあり、簿記の手順にしたがって作業をするだけなので、エキスパートシステムにより代替できると考えられていました。たしかに簿記の範囲であればルール化は容易ですが、決算書作成の段階では人間の判断が必要で、かつ会計基準が業種業態により異なるためルール化は非常に困難です。現在でも、簿記会計の自動化は可能であるものの会計監査の自動化は不可能であるといわれています。

専門知識のルール化を多層ニューラルネットワークで自動化する試みもされましたが、当時は前述のとおり、そのための大量データと膨大な計算を行う超高性能なコンピューターが存在せず、実現することはありませんでした。こうして失意のもと第二次AIブームは終焉を迎えたわけです。

エキスパートシステムの現在と未来。

では、エキスパートシステムの現状はどうなっているのでしょうか。すっかり廃れているのでしょうか。実は、そんなことはまったくありません。

第三次AIブームに便乗する形で、AI搭載を謳う製品やサービスが雨後の筍のごとく次々とリリースされています。その中でも、とりわけ画像処理関連のものの多くは深層学習をベースにしているようですが、それ以外ではエキスパートシステムをベースにしていることも多いように思われます。深層学習とは違い、明確にそれが謳われることがなく存在感が薄いだけで、実用化は確実に広がっています。

そもそも深層学習が具現化されたのは、ビッグデータの普及とコンピューターの進化によるものですが、その恩恵を受けたのはエキスパートシステムも同じです。従来環境では難しかった複雑な推論処理が可能となり、知識のルール化の自動化の可能性も高まっています。

また深層学習には、大量の学習データが必要である導出されたモデルがブラックボックス化するなどの欠点があります。さらに、エキスパートシステムにはない例外を学習できるという特長があるものの、その反面として過学習による汎化性能低下の問題があり、エキスパートシステムの欠点を克服して代替する存在には至っていません。

そのような背景もあり、いま現在において深層学習が実用化されているのは、大量の学習データを獲得しやすく、かつモデルを単純化しやすい画像処理などの一部の領域に限られており、エキスパートシステムの進化が期待されている領域は多く存在します。

そのひとつに、教育業界で注目されている適応学習があります。適応学習(Adaptive Learning)は、学習者一人ひとりの学習進捗度に最適化された学習方法と学習教材を選択して提案するためのロジック・システム・サービスなどを包括的に指し示す言葉です。とりわけ算数や数学は効率的に学習するための教育体系が確立されており、エキスパートシステムがもっとも得意とする領域と言えるでしょう。

ではスポーツはどうでしょうか。たとえばゴルフは教育体系が確立されており、かつ他者に影響を受けづらい競技であるため、エキスパートシステムを適用しやすい領域と言えます。

一方でサッカーは、対戦相手のみならずチームメンバーにも影響を受けるため、意思決定プロセスが複雑でルール化が難しく、適用しづらい領域と言えます。ただ、ボールを蹴る・止めるなどの基本技術については適用できそうです。実践技術においても「ディフェンシブサード右サイドでの一対一」や「アタッキングサード中央でのボール奪取」などの”局面”で因数分解できれば適用される可能性があります

また、スポーツには”動き”という自然言語での記述が難しい専門知識が存在します。しかしながらこれはモーションキャプチャーというセンシング技術の進化により克服されており、ゲームなどでプロサッカー選手の動きが再現されています。

さらに5GとIoTの普及により、”動き”などの自然言語記述が難しいものも含めた専門知識が世界中でルール化され、共有される可能性があります。それがWikipediaのように民主的にマネジメントされれば、エキスパートシステムは三つの欠点を克服し、さらなる実用化が進むかもしれません。

脚注   [ + ]