行動の瞬間をリアルタイムに観察。
前回の「UXリサーチ入門 #02」では、UXリサーチの手法としてのアンケートとインタビューについて解説しましたが、今回は三つ目の手法であるエスノグラフィと、そのひとつであるユーザーテストについて解説していきます。
エスノグラフィ(Ethnography)は、調査対象の商品・サービス・ウェブサイト・アプリなどを実際に利用してもらい、その行動や発話を観察しながら、ユーザーの実態を把握する調査手法です。また必要に応じて質問を行い、要求や意見、あるいは行動に至る思考のプロセスを把握します。
エスノグラフィはもとは文化人類学や社会人類学の分野で、実際の社会コミュニティにフィールドワークとして入り込み、行動様式を記述したり、価値観を見出す手法として使用されていました。それを社会問題解決やマーケティングに応用し、成功事例を生み出したことで注目されている調査手法です。
日本でそのきっかけの一つとなった事例に、日立製作所の冷蔵庫「野菜中心蔵」があります。一般家庭の冷蔵庫の前にカメラを設置し、主婦が冷蔵庫を使う様子を観察していたところ、冷凍室よりも野菜室のほうが使用頻度が高いにも関わらず、野菜室が最下部にあるために非常に不便な思いをしているということに気づきました。そこで冷凍室を最下部に、野菜室を文字通り中心に配置するレイアウトにしたところ、爆発的なヒット商品になったというものです。この例からもわかるとおり、ユーザーの潜在的な要求を発見することが、マーケティングリサーチにおけるエスノグラフィの目的となります。
一方でUXリサーチでは、行動に至る思考のプロセスの理解を目的にします。また、前回の「UXリサーチ入門 #02」で触れたデプスインタビューでは過去の行動を思い出しながら思考のプロセスを聞く形になりますが、エスノグラフィではまさに行動の瞬間をリアルタイムに観察して実態を捉える形になるため、よりリアルな行動の実態を捉えられるとともに、思考のプロセスも鮮明に取り出すことが可能です。ただし、”観察される”ことを前提とした行動となるため、ある種の非日常状態となり、バイアスがかかる可能性があります。それを回避するために、なるべく日常状態に近いコンディションで調査できるような工夫が必要となります。
擬似環境でのエスノグラフィ。
また、UXリサーチではエスノグラフィよりもユーザーテストをよく使用します。ユーザーテスト(User Test)は、調査対象の商品・サービス・ウェブサイト・アプリなどを実際に利用してもらい、主に問題点や改善点を見つけることを目的とした調査です。行動観察を中心に、質問を交えながら思考のプロセスを把握するという点においてはエスノグラフィと同じであり、そのひとつと言えますが、エスノグラフィが調査対象の商品・サービスの利用現場で実施されるのに対し、ユーザーテストはインタビュールームなどで再現した擬似環境で実施されます。
行動観察は、なるべく利用実態に近い場所で行うほうが精度が高まるため、利用現場で実施するのが理想です。とはいえ、例えばモバイル決済アプリの調査の場合、実際の店舗の営業時間中にエスノグラフィ調査で行えば、ただでさえ忙しい店舗オペレーションにさらに負荷をかける可能性が高く、避けたいところです。一方で、営業時間外に都合よくモニターを集めるのも困難です。そこで、インタビュールームに擬似的なレジ環境を設けてのユーザーテストが有効な手段となります。
とりわけウェブサイトやアプリについてはUIに向き合っての利用となるため、擬似環境での調査に向いており、ユーザーテストを選択するケースが多いかと思います。ただし、例えば料理中にレシピサイトがどのように使われているかなど、利用シーンが行動に与える影響が強い場合は、利用現場で実施することの意味が大きく、エスノグラフィの選択が望ましいと言えるでしょう。とくにスマートフォンが普及した現在では、リアルな行動や体験と合わせてウェブサイトやモバイルアプリが利用されることが多く、エスノグラフィが選択されるケースが増えるかもしれません。
なお「データエスノグラフィって?」でも触れたとおり、行動データ観察であるデータエスノグラフィの欠点は思考の理解ができないことですが、ユーザーテストも含めてエスノグラフィでは、行動観察に加えて適時質問をすることで、その行動に至る思考のプロセスを探ることが可能です。
また、デプスインタビューと同様にモデレーターとモニターの一対一を原則とするため、実査会場に立ち会うことはできませんが、カメラやマジックミラー越しにモニターの行動を観察することができます。さらに、モニターへの質問はモデレーターに限定されますが、インカムを通して質問したい内容をモデレーターに伝えることで、間接的に行うことが可能であり、ユーザーテストの特長のひとつといえます。
エスノグラフィ内で行うインタビューにおいて抑えるべきポイントは「UXリサーチ入門 #02」で説明したデプスインタビューのものとまったく同じです。
ビデオチャットの活用。
インタビューやエスノグラフィの難点は、コストと手間がかかることです。コストでいえば、一回の調査で数百万円かかることもあります。また、インタビュールームでの調査環境の準備やモニターのリクルーティングなど、非常に多くの手間がかかります。さらに対面で行うことが前提となるため、モニターの選定に地理的な制約がかかるという欠点もあります。
コストが増えれば、その効果の期待値も比例して増えるため、調査の企画がしづらく、PDCAを細かく回す上での妨げとなります。そこでアンケートと同じように、オンラインで行うことでこれらの欠点を克服する動きが見られます。ビデオチャットの技術向上がそれを後押ししており、業務効率化のためにSkypeやZOOMなどの利用が急速に進んでいますが、ビデオチャットを活用した調査サービス・ツールも多く登場しています。
ジャストシステム社が提供する「Sprint」は、ビデオチャットを利用したインタビューサービスです。調査対象のモニターを5分程度で探し出し、そのまま30分間のデプスインタビューを実施することができます。またインタビュー終了と同時にテキストと動画データなどを受け取ることができ、すぐに改善案の検討などPDCAのアクションに入ることができます。
ポップインサイト社が提供する「リモートユーザテスト」は、文字通りリモートでのユーザーテストサービスです。低コストかつモニターの地理的制約を受けずにユーザーテストを実施できるところが特長で、コストについては条件にもよりますが、数十万円での実施が可能です。ただし、ユーザーテストの実査に立ち会うことができないため、モニターへの質問はモデレーターに委ねざるを得ないという欠点があります。エスノグラフィやユーザーテストの目的は、行動の実態と思考のプロセスの把握であるため、質問ができなければ実施目的の半分を失うことになります。この点を踏まえてのサービスの改善を期待したいところです。
とはいえビデオチャットを活用したオンライン調査サービスは今後も進化する可能性が高く、それにより低コストかつ高速にPDCAやグロースハックを推進できるようになることが期待されます。
次回の「UXリサーチ入門」最終回では、ユーザー行動の実態を把握するためのデータエスノグラフィと、その行動に至る思考を理解するためのアンケートやインタビューを組み合わせたクロスリサーチについて、その意味と進め方の解説をしたいと思います。
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須川 敦史
UX&データスペシャリスト
クロスハック 代表 / uxmeetsdata.com 編集長