Σ(個別最適) ≠ 全体最適。
UXグロース(UX Growth)を進めるプロセスとして大きなPDCAと小さなPDCAの両方を考える必要があるということを前回説明しましたが、今回はそのプロセスについて詳しく見ていきます。
まず、一般的にグロースハックと言えば、小さなPDCAが想起されますが、それはABテストなどの象徴的な手法がそのためのものであるからでしょう。ではUXを向上させてビジネスを成長させるのにそれだけではだめなのでしょうか。
たとえばECサイトの場合でいうと、最終目的は利益を継続的に獲得することです。利益を獲得するためには商品が売れる必要があります。商品が売れるには、購買してくれる会員が必要です。そこで会員獲得という個別の目的が生まれるわけですが、ではとにかく会員を増やせば最終目的である利益の継続的な獲得が達成できると言えるでしょうか。もちろん会員が必要であることは間違いありません。とはいえ、初回購買のみの会員やキャンペーン時のみ購買する会員が増えても、利益の継続的な獲得にはつながらないでしょう。
この場合、会員獲得は利益を継続的に獲得するための必要条件であって十分条件ではないと言えます。そして、必要条件(Necessary Condition)である会員獲得を最大化することを個別最適(Specific Optimization)といい、それが小さなPDCA(Small PDCA)の目的となります。
一方で、会員獲得のみならず、その後の継続化やLTV向上なども含めて、利益を継続的に獲得するのに十分な条件、すなわち十分条件(Sufficient Condition)を統合して最大化することを全体最適(Total Optimization)といい、それが大きなPDCA(Big PDCA)の目的となります。
また、個別最適の積み上げが全体最適ではないということも理解しておく必要があります。確かに会員数・継続化率・LTVなどの想定されるあらゆる必要条件をすべて最大化すれば売上は最大化されますが、それが全体最適にならないことはコストという概念を考慮すれば理解できます。ここでいうコスト(Cost)とは、費用の意味はもちろんのこと時間や労力などの意味も含みます。それらは無償でも無限でもないため、想定される必要条件すべてを最大化することはできません。ましてや利益獲得が目的であれば、なおさらコストに対する最適解を見つける必要があります。
最終目的を達成するためには、小さなPDCAによる個別最適の積み上げでは不十分であり、大きなPDCAによる全体最適の視点が不可欠であるということがわかるかと思います。
一方で、大きなPDCAだけではどうでしょうか。おそらく何も前進することはないでしょう。利益の継続的な獲得という大きな目的に対しては、具体的な対応施策が存在しないからです。具体的な対応施策を講じるには、会員獲得や継続化などの小さな目的に細分化する必要があります。そこで、まずは大きなPDCAの計画をたて、そこから小さなPDCAの計画にブレイクダウンする流れとなります。
マスタープランを策定する。
大きなPDCAの計画を、ここではマスタープラン(Master Plan)と呼びます。マスタープランでは以下の項目を策定します。
- 最終目的(Objective)
- 最終目標達成指標(Key Goal Indicator:KGI)
- 投資対効果(Return on Investment:ROI)
- 主要成功要因(Key Success Factor:KSF)
- 主要業績評価指標(Key Performance Indicator:KPI)
- マイルストーン(Milestone)
- 実行計画(Execution Plan)
具体的なケースで考えていきます。あなたは、とある総合ECサイトの責任者で、年間獲得利益を20億円から30億円に一年間で伸長させることがミッションであるとします。なお、ここでの利益とは売上総利益を意味するとします。この場合のマスタープランはどのようになるでしょうか。
最終目的(Objective)は利益獲得であり、最終目標達成指標(Key Goal Indicator:KGI)は年間獲得利益の10億円伸長となります。ただし、このままでは具体的な実行計画を作ることはできません。
そこでまず、投資対効果を考えます。投資対効果(Return on Investment:ROI)とは文字通り、投資額に対して獲得する効果のことです。ここでの効果とはすなわち利益であり、獲得する効果は利益伸長分の10億円ということが予め決まっています。そのうちの50%を効果獲得のために投資可能だとすると投資額は5億円となり、これが予算(Budget)となります。なお、5億円の投資で10億円の効果が得られるためROIは200%です。
次に、最終目的を達成する戦略(Stragegy)を策定します。戦略策定の詳細なプロセスはここでは言及しませんが、最終的には主要成功要因と主要業績評価指標を策定することになります。主要成功要因(Key Success Factor:KSF)とは最終目的を達成するための主要な要因のことで、主要業績評価指標(Key Performance Indicator:KPI)はそれを定量的に評価するための指標のことです。具体的には下表のようなKSFに細分化することができます。また、予算10億円を各KSFの優先度や効率性をもとに割り振りをします。これを予算配分(Budget Allocation)といいます。
KSF | KPI | 予算 |
会員獲得 | 会員獲得数:50万人増 | 3億円 |
継続化 | F2転換率:20%増 | 1億円 |
LTV向上 | 年間購買金額:20%増 | 1億円 |
なお、ここでのKGI・KPIは年間での評価指標ですが、一年経過してから初めて評価するのでは、うまく成果が出せていない場合に軌道修正ができません。したがって、例えば四半期ごとなど定期的に評価して改善アクションを行います。そのためには各評価期間ごとのKGI・KPIが必要があり、それをマイルストーン(Milestone)と呼びます。このマイルストーン単位で回すPDCAが大きなPDCAということになります。
これで、KSFごとの実行計画(Execution Plan)を策定し、小さなPDCAを回すことが可能となります。
実行計画を策定する。
ここでは、会員獲得の実行計画を検討してみます。KPIである会員獲得数の達成目標は年間で50万人増で、投下可能な予算は3億円であるため、獲得単価(Cost Per Aquisition:CPA)は600円となります。すなわちCPAが600円以下で会員を獲得する具体施策を検討する必要があるわけですが、それだけでは条件として不十分です。
マスタープランでは、会員獲得数だけでなくF2転換率もKPIであるため、継続化の可能性が高い性質の会員を優先して獲得する必要があります。また、会員獲得の時期が早ければ、それだけF2会員数や年間LTVも向上しやすくなるため、マイルストーンの視点では第一四半期に重きを置いた獲得計画にしておく必要があります。これらの必要条件をすべて考慮した会員獲得の実行計画を立てることになります。
- 必須要件(Mandatory Requirement)
- 会員獲得数:50万人
- CPA:600円
- 検討要件(Consideration Requirement)
- 継続化の可能性が高い性質の会員を優先した獲得計画とする。
- 第一四半期に重きを置いた獲得計画とする。
これらの要件を踏まえて策定した実行計画に基づき、数日から数週間単位で回すPDCAが小さなPDCAということになります。なお、ここで評価するのはKPIである会員獲得数とCPAのみで、その後にF2転換する会員であるかを評価することはできません。それはマイルストーンごとの大きなPDCAで評価することになります。そして、獲得した会員のF2転換率が期待通りでない場合は、獲得する会員の質を変える必要があり、会員獲得の実行計画にフィードバックします。このようにして大きなPDCAと小さなPDCAを両輪で回すわけです。
次回以降で、小さなPDCAの推進に欠かすことのできないABテストによる実験・評価・改善アクションの実践的なメソッドを見ていきます。
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須川 敦史
UX&データスペシャリスト
クロスハック 代表 / uxmeetsdata.com 編集長